読んで学べる論理学を探しているひとへ――古典命題論理から様相命題論理まで

論理学を基礎から〈テキストを読むこと〉だけで独習しようとするひと――こうしたひとにとって役立つかもしれない講義テキストを置いておく。これは某大学で私が担当している論理学の講義のテキストであり、その授業では安井邦夫『現代論理学』(世界思想社、1991年(新装版2021年))も教科書に指定されている。ただし、以下のテキストは、安井の教科書がなくても読むことができる(他方で、「論理学Ⅰ」のテキストを読み終えた後に、その続きとして安井本で述語論理などを学び進めることもできる)。

 

ちなみに、論理学をまなぼうとするひとの中には《ふつうの散文は却って読みにくく、とりあえず記号を並べてほしい(あとは自分で考えるから)》という方もいると思う。そうした方にとっては、残念ながら、私のテキストは却って読みづらいだろう。なぜなら私のテキストは――最近はこうした言葉づかいがあるらしいが――形式化の背景にある「お気持ち」をできるだけちゃんと説明せんと努めるタイプのものだからだ。思うに、典型的な「文系の」学習者にとっては、このタイプのテキストこそが役立つ。もし全体のタイトルをつけるならば「文系の初学者のための、独りで学べる、読める論理学」となるかもしれない。もちろん典型的な「理系の」方が読まれても問題ない。

 

「論理学Ⅰ」は古典命題論理を扱う。(1)から(3)まではイントロダクションであり(4)から本題に入る。(4)から(8)までが意味論、(9)から(12)までが構文論、(13)と(14)がメタ理論である。いわゆる極大無矛盾集合を用いた完全性の証明がギャップ無しに行なわれる。「論理学Ⅱ」は、「論理学Ⅰ」と同じノーテーションのもとで、様相命題論理を扱う。こちらも最終的に K, D, T, S4, B, S5などのいわゆる「ノーマルな」システムの完全性定理が証明される。

 

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李太喜『自由と自己の哲学――運と非合理性の観点から』(岩波書店、2024年)をザッと読んで

李太喜『自由と自己の哲学――運と非合理性の観点から』(岩波書店、2024年)を読んだ。他の仕事の合間に、一部流し読みしながら、大事な箇所を集中して読む、という仕方で読んだので、まだ完全なレビューはできないが、以下、手短に現時点の感想を述べておきたい。

李の本には――結論から言えば――〈いまだ李の本でしか詳述されていない事柄〉が書かれているので、この点ですでに読む価値がある。人口に膾炙した言い方をすれば、ちゃんとした「オリジナリティ」があり、他の本で替えがきかない、ということだ。李の本の独特の主張が何であるかは後で説明することにして、まず同書の構成を簡単に説明しておきたい。

ざっくり言えば、前半が「勉強パート」で、後半が「独自主張パート」だ。もちろん同書は学術書であるので《前半は後半の準備として書かれている》という有機的構成があるのだが、いずれにせよ〈自由と責任の哲学〉に不慣れなひとも前半の勉強パートで議論の大枠を掴むことができる。それゆえ、李の本を読むさいに多大な予備知識が必要となる、ということはない。

ちなみに「独自主張パート」へ切り替わっていく場面はかなり盛り上がる。私にとっては、115頁あたりから、文章の表情が変わる感じがあった。このあたりから先の箇所は、重要な意味で「李自身の言葉で」書かれている。そこでは〈書き手がコミットしているところの事柄〉が明らかになる――それゆえ《こうした部分がなければ「哲学書」ではない》というまっとうな感性の持ち主にとって、李の本は文字通り「哲学書」になっている。

さて「自由」をめぐる李の根本的発想は何か。それは、おそらくは誤解されるであろうまとめ方をすれば、《自由は運(luck)の一種だ》というものである。このまとめに対しては《自由が運であるはずはない》というリアクションがあるだろうが、この「自然な」反応にたいしては以下のように講釈したい。

ひとが完全に合理的に行動せんとするとき、何が生じるだろうか。そのひとはそれまで自分が得てきた〈合理的思考のための資源〉を総動員するだろう。自分の経験や既知の一般的知見を活用し《現時点で何を行なうことが自分にとってベストか》を考量する。こうした合理的思考のもとで《これこそが最善だ》と判断される事柄が行為へと移される。

李の発想はこうした合理的意志決定プロセスに「不自由」を見出す。だがそれはどんな種類の不自由か。それはいわば過去による縛りだ。じっさい――前段落で記述したように――或る意味の〈合理性の徹底した追求〉は〈過去のプロセスによって築き上げられた現在の自己のベストを尽くすこと〉である。だがこうした追求において「合理的」とされるものは、あくまで、いわば事前の視点において合理的であるに過ぎない。李曰く「仮に完全なコントロールのもとで行為しようとするならば、そこでなされる行為は、過去に縛られ、過去から生まれる他なかった行為だということになる」(227-228頁)。こうした過去への隷属は〈私たちの価値観の広がりの可能性〉を、ひいては生の可能性を狭めるだろう。だが私たちはかかる〈過去による縛り〉に縛られっぱなしではない。

じっさい「運」の介入は、前段落で指摘された事柄を踏まえれば、過去の軛から自己を解放する「断絶」だと解されうる(228頁)。すなわち事前の視点から「不合理」とされる事柄を敢えて選ぶことは、一方で結果の「よさ」が不確実なものに留まるところの「運的(賭的)」行為に他ならないが、他方でときに〈自己を過去の奴隷でなくす〉という積極的な作用をもつ。そして後者の働きに光を当てるのが李の作品である。運に身を委ねるとき、ひとは自己変容しうる。すなわち、事前の視点で「よい」と判定されえなかった事柄にかんして、予想外の仕方で事後的に別の評価ができるようになったりする。これは重要な意味の〈自由の運動〉である。さきに述べられた《自由は運の一種だ》というテーゼはこうした文脈で理解されねばならない。

さて最後に、ここまでの私の説明――すなわち「自由にかんする李の根本発想は、自由は運の一種だ、というものだ」という説明――を聞いて「うーん、何かしっくりこないなあ、読むのはやめておこう」などと考えたひとにたいしてひとこと述べておきたい。

その〈しっくりこなささ〉はあくまで事前の視点からの判定である。それゆえ、それに縛られて李の本を読むことを控えることは、李が指摘する〈過去への隷属〉の一形態に他ならない。おそらく、現時点で「しっくりこないなあ」と感じるひとこそ、李の本を読むことによって自己変容し、李のテーゼをこれまではできなかった仕方で評価できるようになるはずだ。同書は万人にとっても奨められるが、とくに《自由が運の一種であるわけはない》と確信をもってしまっているひとにたいして大きな学びとなりうるだろう。

ヒュームとストローソン――自由と責任の哲学における自然主義と懐疑主義をめぐって

2024年3月26日(火)――このポストが行なわれた日からみて「次の火曜日」――に「第6回非難の哲学・倫理学研究会(佐々木拓がオーガナイズ)がある。私はそこでヒュームの責任論とストローソン(父親のほう)のそれを比較する発表を行なう。その原稿が文字として存在するので、公にしておきたい。ただし、HatenaBlogの仕様のため、引用における傍点強調などは抜けてしまっている(体裁上の不足点についてはご容赦されたい)。

 

《自由と責任にかんするヒュームの立場は正確にどのようなものか》はあまり知られていないので、その点に関心のあるひとにとっては役立つテクストになっているかもしれない。

 

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ヒュームとストローソン

――自由と責任の哲学における自然主義懐疑主義をめぐって

 

1.はじめに

 

本稿は、自由と責任の哲学をテーマとしながら、デイヴィッド・ヒュームの立場とP・F・ストローソンのそれを比較する。はじめに《なぜこのふたりか》を説明しよう。 

ヒュームとストローソンのそれぞれが自由と責任の哲学の文脈で論じるに値する人物だという点は疑念の余地がない。そしてふたりのあいだには共通点がある。じつにふたりはいずれも傑出した両立論者だが、それだけでなく――本稿で見ていくように――どちらもその議論において〈情念〉や〈感情〉や〈態度〉に相当のウェイトを置く。それゆえヒュームとストローソンにかんして《どの点が同じか》および《どの点が対立するのか》を掘り下げることは双方の立場の理解を同時に深めることに繋がるだろう。 

本稿は最終的に何を目指すか。それは、〈自然主義をとる〉という点で問題のふたりのあいだに無視できない共闘があることを認めながらも、《ある種の懐疑主義にたいして両哲学者は有意に異なるリアクションをとる》と指摘する。どちらの応答がベターかは本稿では問題にしない。むしろ、こうした点でヒュームとストローソンが鋭く対立すること、そしてこの対立が重要であることだけを示したい 

本稿の議論は以下の順序で進む。まず自由と責任をめぐるヒュームの立場がどのようなものかをじっくり説明する(第2節から第5節)。なぜじっくりいくかと言えば、この点は案外よく知られていないからだ。残りのパートで、ストローソンの考えを紹介しながら、両哲学者を対比する[1] 

[1] 本稿はヒュームの一次文献として『人間本性論』と『人間知性研究』を選ぶ(ちなみに、本稿はヒューム研究ではないので、ふたつの作品の内容的な異同は問題にしない――ただしこれは《そうした異同はどうでもよいことだ》という考えを含意しない)。頁参照のさいの略記号については末尾の参考文献の項を見られたい。 

 

 2.「典型的な両立論者」としてのヒューム 

 

 《ヒュームは両立論者だ》というのは自由意志論史における常識だが、彼がどんなタイプの両立論者なのかは必ずしも自明ではない。ひとによってはヒュームをいわば「典型的な両立論者」と見るが、その理由は彼の書物のうちに次のような文言が見出されるからである。 

[…]もし人間の行為に原因結果の必然的結合がなければ、正義と道徳的衡平に両立するように罰を与える〔すなわち法にてらして罰を与える〕ことが不可能[になる]。(人性Ⅱ:158亀甲括弧内は訳者補足、四角括弧内は引用者補足) 

 

あらゆる人間の法は、報酬と罰〔を与えること〕に基礎をおいているのだから、「これらの動機(報酬と罰)が精神に影響を及ぼし、よき行為を生み出すとともに悪しき行為を防ぐ」ことが根本原理として想定されていることは実際確かである。(人性Ⅱ:158頁。丸括弧・鍵括弧は訳書のとおり。亀甲括弧内は訳者補足) 

 

[…]自由ということでわれわれが意味することができるのはひとえに、意志の決定に従って行為したりしなかったりする力、これのみである。すなわち、もしわれわれが休止することを選ぶなら、そうできる、動くことを選ぶならそうできるということ、これのみである。(人知:84頁) 

ひとつめの引用は《誰かへ責任を帰すことは因果の必然的連関を必要とする》と述べる。このテーゼは《責任と因果的必然性が両立すること》を含意する。ふたつめの引用は、責めたり罰したりすることの眼目は〈未来によい結果をもたらすこと〉にある、と示唆する。三つめの引用は、「Aは自由である」という言明は「もしAが……をすることを意志するならば、Aは……する」という条件文で分析されうる、と言っているとも読める。こうした文言たちは《ヒュームは典型的な両立論者だ》という命題をもっともらしくする。 

ところでここでの「典型的な両立論者」は何を意味するか。それは〈自由〉に条件法分析を施し、〈責任〉の役割を帰結主義的に理解する、というタイプの両立論者だ。おそらくシュリックの時代に多くいたであろう類型の両立論者である。そして先に引用した文言が現に存在する以上、ヒュームをこのタイプの両立論者と解することは広い意味で可能である。だが、立ち止まって考えればすぐに気づかれることだが、ヒュームを目下の意味の「典型的な両立論者」と断定することは短絡だと言える。なぜそう言えるのかを以下説明しよう 

 

3.因果と恒常的連接 

 

ヒュームの《責任と因果の必然的結合とが両立する》という主張を理解せんとするさいに忘れてはならないのは、この哲学者の言う「因果」や「必然性」はふつうの意味のそれではない、という点だ。じっさい――周知のとおり――ヒュームは彼の独特な〈印象と観念のシステム〉のうちで「因果」や「必然性」を再定義する。したがって、仮にヒュームへ何かしらの「因果的決定論」が帰せられるとしても(じっさいしばしば帰せられるが)、それはふつうの意味の因果的決定論ではありえない。かくしてヒュームが「典型的な両立論者」であることはありそうにないと言えるのである 

前段落の考察は《ではヒュームの立場は正確にはどのようなものか》という問いを喚起する。本節次節・次々節はこの問いへ答える。最終的にヒュームの両立論は、言ってみれば、ラディカルに経験論的なものだということが判明するだろう。 

第一に、ヒュームにおいて、「因果」や「必然性」は何を意味するか。彼の哲学の出発点となるアイテムは、経験的に与えられるものとしての、印象および観念である。すなわち意識に現れるもののうちで、「勢いと生気」の度合いが強いものが印象であり、それが弱いものが観念である(人性Ⅰ:13頁)。ヒュームの哲学においてはさまざまな現象が印象および観念の組み合わせとして説明される。「因果」や「必然性」も、今から見るように、この仕方で説明される。 

さて、印象や観念を組み合わせたり何かを何かで代表させたりして「個体」や「出来事」にあたるアイテムを作り出せるが、以下ではこれを「対象」と総称しよう。ヒュームにおいて因果は対象のあいだの関係のひとつである。とはいえそれはどんな関係か。ヒュームはこれを隣接性・継起性・必然性の三要素で特徴づける(人性Ⅰ:95-97頁)。すなわち、隣接する対象AとBの継起的関係が必然的であるとき、《AはBの原因である》とか《BはAの結果である》とか言われる。ただしここからヒュームは、期待されるとおり、哲学史上有名なムーブを行なう。それは――隣接性と継起性はさしたる問題が無いとして――《因果関係が必然的であるとはどのような意味か》を解明することである。 

この問いへのヒュームの答えはよく知られている。すなわち、これまでAの後にいつもBが続いたという「恒常的な随伴」が「必然的結合」の核心である、ということだ(人性Ⅰ:190頁)。ヒュームはこの点を「習慣」という語も使いながら説明する。曰く、 

 […]類似の事例が繰り返された後には、心は、一方の出来事が出現したことに基づいて、それにいつも随伴するものを期待し、それが存在するだろうと信じるよう、習慣によって導かれる[…]。それゆえ、われわれが心のなかで感じるこの結合、一つの対象からそれのいつもの随伴者に至るこの想像の習慣的推移、これこそが[…]必然的結合が形成される基となる心持ちあるいは印象である。(人知:67頁) 

このようにAとBの恒常的随伴の経験に基づいて心の中に形成された習慣的推移――すなわちAを考えればその後でBを考えてしまう習い性――が〈因果の必然的結合〉の実質である。ここで必ずや押さえるべきは、ヒュームによる「因果的必然性」の説明は「因果的必然性」でふつう意味されるところのもの(いわば実在的紐帯)を動員していない、という点だ。その結果、仮にヒュームが《自由と因果的必然性は両立する》と述べたとしても(じっさいにこの旨の文言は存在するが)、これは決してふつうの意味で解されてはならない。 

いったんまとめよう。 

因果的必然性にかんするヒュームの立場は以下だ。じつに、互いに繋がりのない印象や観念の織り成すシステムのうちでは、とくにパターンのない部分[2]と、同じパターンが繰り返される部分が観察される。そして後者の領域へ「因果」や「必然性」といった術語は適用される。こうした見方は――大事な特徴として――観察可能な領域を超えた必然的力能のようなものを持ち出さない。因果の連関はむしろ、経験の中から、経験を通じて形成される。 

[2] ヒュームは、《すべての存在は必ず原因をもつ》という命題は示されない、と指摘する(人性Ⅰ:100-103頁)。この指摘を印象‐観念のシステムの語彙で言い換えれば、世界のうちには恒常的連接(すなわち特定のパターン)の見出されない部分がありうる、となるだろう。 

 

4.ヒュームにおける自由と責任 

 

ヒュームは〈自由〉と〈責任〉を、以上のようなシステム――バラバラの印象や観念が、ある場所では一定のパターンを為し、別の場所では無秩序に戯れるシステム――において再定義する。次にこの点を確認しよう。 

ヒュームは《因果の必然性は人間の行動もカバーしうる》と考えるが、その根拠は《人間の行動にも恒常的連接が見出されうる》という事実にある(人性Ⅰ:147頁)。じっさい私たちは、あるひとが具える一般的属性や個別的特性を踏まえて、《彼/彼女が次に何をするか》を予測したりする。こうした予測可能性は《人間の行動が一定のパターンをもちうること》を含意する。より正確に言えば次だ。すなわち、経験的に恒常的連接が観察される領域のうちに、人間の(少なくともいくつかの)行動は属す、と。 

加えてヒュームは《ひとが自由に行為し、その行ないに責任を負うためには、そのひとの行動は因果的な必然性を具えねばならない》と言うが、それをサポートする理路は次。 

狂人が自由を持っていないひとは一般に認められている。しかし、狂人を彼らの行為によって判断するならば、彼らの行為は、賢明な人々の行為よりも規則性と恒常性に欠けていて、したがって、〔自由を持っていると認められている賢明な人々よりも〕さらに必然性から離れている。(人性Ⅱ:151頁。亀甲括弧内は訳者補足) 

ここでは、行動がパターンをもたないひとは「自由を欠く」と判断されざるをえず、自由に行為するひとはむしろ一定の規則性と恒常性に服す、とされる。加えてヒュームは「自由を欠くいかなる人間の行為も道徳的性質を帯びることはないし、是認や嫌悪の対象になることもありえない」と述べる(人知:88頁)。かくして道徳的責任を問われうる行為は、自由の領域に、すなわち――たったいま指摘されたことだが――何かしらのパターンをもつ領域に属すことになる。 

いまや典型的な両立論者とヒュームの違いのひとつが指摘できる。 

典型的な両立論者は、決定論的な[3]自然法則が万物を支配しており、宇宙のはじまりの時点でこの世の一切の状態が決まっていた、と考える。そして彼女あるいは彼は、こうした形而上学定な描像のもとで、《だが人間は自由でありうる》と主張する。これにたいしてヒュームはそもそも「トップダウン式の」形而上学的描像を持ち出さない。彼はむしろ経験的に与えられる印象‐観念の連関を観察する。その中には、パターンの見出されない部分もあれば、パターンの見られる部分もある。そして後者の部分が「因果的に必然」と言われる。 

[3] 決定論的な自然法則は〈初期条件が定まればその後のあらゆる時点の状態が定まる〉という特性をもつ。 

押さえるべきは次だ。すなわち、典型的な両立論者は《特定の自然法則が物体と人間を同じ仕方で縛る》と考えるが、ヒュームは《物体の運動のパターンと人間の行動のパターンは必ずしも同じでない》というテーゼを許容する、と。いや、ここは慎重に論じるべきところ(そしてヒューム理解の勘所)であるので、じっくり説明しよう 

一方でヒュームは、よく知られているとおり、《人間と物体は本性的に異なっており、人間は物体を支配する法則とは異なる原理に従う》などとは考えない。曰く「ただ一種類の必然性があるのであり、精神的必然性(moral necessity)と自然学的必然性(physical necessity)の間の通常の区別は自然のうちには根拠をもたない」(人性Ⅰ:201。丸括弧内補足は訳書のとおり)。この意味で――後でまた強調するように――ヒュームは「自然主義者」である。他方でこの立場は《物体の運動のパターンと人間のそれは同じだ》ということを含意しない。むしろヒュームの哲学はこのふたつを分ける余地を残しており、じっさい彼はこのふたつを区別する文言も提示する。例えば曰く「憎しみや怒りの常に変わらぬ普遍的対象は、人格(人間)つまり、思考と意識を付与された被造物である」(人性Ⅱ:158頁。丸括弧内補足は訳書のとおり)。すなわち印象‐観念のシステムにおいて対象はさまざまな仕方で関わり合うが、憎しみや怒りの印象は人間(の複雑印象)と結びつき、決して物体とは結びつかない、ということだ。これは《人間にかかわるパターンは、少なくともいくつかの点で、物体にかかわるそれと異なる》ということを意味する。 

いったんまとめよう。典型的な両立論者は《一定の自然法則群が根本的な次元で万物を支配する》という形而上学的な描像のもとで仕事をする。逆にヒュームは、形而上学への飛躍を控え、経験的な領域に留まる。そしてそこでの恒常的連接の観察によって、物体にかんするパターンを発見したり、人間特有のパターン(例えば憎しみや怒りの対象になりうること)を見出したりする。かくしてヒュームの枠組みにおいては――次節でさらに掘り下げるが――《人間の行動が物体の法則に支配されているならば、いかにして人間は自由でありうるのか》などの問題が生じない。物体には物体のパターンがあり、人間には人間のパターンがある。ただしヒュームは、人間は特殊な(すなわち超自然的な)法則に従っているわけではない、という点も強調する。じっさい人間のパターンも(物体のそれと同じく)経験的に構築されるものだ。ここにヒュームの自然主義の核心が存しており、それは決して人間を物体に同化するものではない。 

 

5.ラディカルな経験論者としてのヒューム 

 

 徐々にヒュームの両立論の個性が見えてきた。その立場は、〈自然法則のリアルな必然性を認めたうえで、それと人間的自由の調停を目指すもの〉ではなく、むしろ〈バラバラの対象のシステムの中で、物体の運動のパターンと共に人間の行動の規則性を観察し、後者に人間的自由の在り処を見出すもの〉である。この考え方は、その立て付けによって、典型的な両立論が直面する問題をバイパスする。ヒュームを「典型的な両立論者」と見なすことが短絡であることの理由はこのあたりにある。 

以上の議論を踏まえれば《本稿のはじめに引用された箇所はどう読まれるべきか》も明らかになる。この点を説明して、本稿におけるヒュームの立場の紹介を〆たい。 

第一の引用――《ヒュームにおいて責任は因果的必然性を要求する》という旨の文言――については次が留意されればよい。すなわち、ヒュームの言う「因果的必然性」はふつうの意味で解されるべきでない、と。そして、この術語をヒューム特有の意味で解するとき、この哲学者の両立論の独特さが把握できる。 

第三の引用――いわゆる自由の条件法分析を示唆する文言――については以下のように論じられるだろう。ヒュームにおいて人間的自由は、形式的に言えば、人間の行動の一定のパターンとして再定義される。そのさい〈自由〉の概念は、ひとつには、まともな規則性の見出されないひと(ヒュームが「狂人」と呼んだひと)と合理的な規則性に従うひととを区別する役割を担う。かかる〈自由〉の概念をひとつの角度からレジュメすれば《自由なひとは、もし……することを意志するならば、……をする》となるだろう。他方でただちに付け加えるべき注意だが、ヒュームの〈自由〉概念はこうした抽象的定式化に尽きるものではない。むしろそれは経験的に観察される、多かれ少なかれ多様な、合理的行動のパターンをカバーする。かくして第三の引用はヒューム的自由をひとつの仕方でレジュメするに過ぎない。逆から言えば、ヒュームの〈自由〉の概念は「賢明な」ひとびとの行動パターンを包括的に捉えるものであって、その実質は簡潔な言葉で要約することができない、ということだ。 

第二の引用――責任実践の眼目の「帰結主義的な」理解を提示すると読める文言――についても《これがヒュームの責任理解のすべてだ》と考えるべきでない。じっさいヒュームは責任実践を、私たちの感情生活との関わりにおいて、より「豊かに」理解しているこれはポール・ラッセルが強調する事柄だが(Russell 1995)、この人物の議論は私にとって難しいので(現時点で咀嚼できていない)、ここでは私なりの仕方で敷衍したい。 

一方でヒュームは第二の引用が示すように《責めたり罰したりすることが未来によい結果をもたらすこと》を認めるが、他方で彼は責任実践がいわば「ストローソン的な」(後述)感情や態度のネートワックにも繋がっているとする。ヒュームは例えば、《物事は全体として見ればどれも神の意志の結果であり、一切は正しく、責めたり罰したりすべき行為者は存在しない》という哲学的思弁によって責任実践が捨て去られることはない、と主張せんとする文脈で以下のように言う(いささか長くなるが重要な箇所をすべて引いておく)。 

人間の心は、ある性格や性向や行為が眼前に現れたとき直ちに賞賛か非難の心持ちを感じるように、自然的に形成されている。心の機構と構造にとってこれほど本質的な情感は存在しない。われわれの賞賛が保証される性格とは、主として、人間社会の平和と安全に寄与するようなものであり、非難を呼び起す性格とは、主に、公共のものを損傷したり妨害したりすることになりがちな、そのような性格である。かくして、こう推定することは理に適っているだろう、すなわち、道徳的心持ちは、媒介的にであれ直接的にであれ、このような対立する利害についての反省に由来するのだ、と。たとえ哲学的瞑想によって、「全体」に関してはすべてのものごとは正しいのであって、社会を混乱させるような性質も大体においては有益であり、もっと直接に社会の幸福や福祉を推進するものごとと同様に、自然の第一の意図に適しているのだ、などという全然違った意見や推測が確立されようと、それが何だというのか。そんな遠く離れた不確実な思弁が、対象を自然な仕方で直接に眺めたことから生じる心持ちに拮抗することなどできるというのだろうか。(人知:91頁) 

ここでは第一に、〈賞賛すること〉や〈非難すること〉といった責任実践が「帰結的な」利益や損害への反省に基礎をもつ、と言われている。だがこれだけではない。ここでは第二に〈浮世離れして疎遠な哲学的思弁〉と〈対象から直接得られる身近な心持ち〉との対比も強調されている。責任実践は後者の感情的営みのうちに根をはっており、決して高踏な形而上学によって根こぎされうるものではない。このようにヒュームにおいて〈責任〉の概念は、帰結主義的な考慮とも繋がっているが、同時に〈怒り〉や〈感謝〉などの感情の織物とも結びついている。じっさい例えば曰く「大変な大金を強奪された人、そういう人は、その損失に対する腹立たしさがあのような崇高な反省によってともかくも軽減されるなどとはたして思うだろうか」(人知:91頁)。責任実践はこうした感情のダイナミクスと連動しており、頭でっかちな哲学によって廃棄されうるものではない。 

けっきょくヒュームの両立論の核心的アイデアは何であるか。それは〈自由〉の条件法分析でも〈責任〉の帰結主義的な理解でもない。これらはヒュームの核心的発想の帰結であって、その発想そのものではない。彼の理論において最も重要なのは《自由や責任をめぐる人間の営みは印象と観念のシステムから経験的に生み出される》という考え方だ。すなわち、それ自体では個々バラバラであるところの印象や観念は、恒常的連接の観察と心の習慣によって一定の「まとまり」を築き上げる。この「まとまり」は人間の感情や振る舞いを一定の規則のもとで結びつけるネットワークであり、〈自由〉や〈責任〉はこうした結びつきの産物である。具体的には例えば――〈快〉の印象を求める直接的な情念たる〈欲求〉がひとの行動を駆動するがゆえに(人性Ⅱ:6-7頁)――経験的に構築される〈責任〉の概念はおのずと帰結主義的な側面をもつだろう。あるいは「まともであるまともでない」を分けるものとして経験的に構築される〈自由〉の概念は「まともな」ひとを「意志したとおりに行動する」などのパターン的特徴で弁別するだろう。ヒュームは《これらはどれも印象‐観念の習慣的な組織化の産物だ》と述べる。彼のこの核心的な発想は「ラディカルな経験論」と呼ばれうるだろう。なぜ「ラディカルな」と修飾するのかと言えば、後でふたたび強調するように、ヒュームの経験論が〈経験の領域を一歩もはみ出さないこと〉を意図するからである。例えば、本稿で取り上げたように、そこでは〈因果〉は超越的な力を動員することなく再定義される。 

最後に付け足しの注釈をひとつだけ。ヒュームの立場の《自由と必然性は両立する》という部分は、どちらかと言えば、根本的な発想からの帰結の方に属す。彼の立場において最も重要なのは、繰り返しになるが、〈印象‐観念の習慣的な組織化〉である。この経験的なプロセスによって人間の感情と行動のネットワークが生み出されるのだが、そのうちの一定のパターンの部分が「自由」と呼ばれる(に過ぎない)。もちろん《自由は必然性と対立せず、自由と対立するのはむしろ強制だ》と主張することはヒュームの自由論の重要な一部である(人性Ⅱ:154頁)。だがこの主張は先にも述べたように彼の体系全体の帰結的な一部であり、決してその核心的な発想を特徴づけない。そしてこの哲学者の独自性を記述するさいには、《印象‐観念の経験にもとづく習慣的な組織化(のみ)を通じて自由と責任をめぐる営みは生じる》という、ラディカルな経験論に注目するほうがよい。 

 

6.ヒュームとストローソンの類似性 

 

ヒュームとストローソンを比較するパートへ進もう。 

自由と責任をめぐるヒュームの考え方は、何となくすでにそう感じられているだろうが、ストローソンのそれに似ている。じっさい――例をひとつ挙げれば――ある種の懐疑主義者、すなわちひとが何かに責任を負うためには形而上学的な自由といった馬鹿げたものが必要となると指摘して責任実践の無根拠さを主張せんとする懐疑主義者にたいしてヒュームとストローソンは同じような応答を行なう。はじめにこの点を確認しよう。 

ヒュームの立場において〈自由〉と〈責任〉の概念は、前節で繰り返し強調したように、印象‐観念のシステムの中で組み立てられる。そして――ここが重要だが――こうした組織化は経験の領域を一歩もはみ出さずに遂行されるので〈自由〉と〈責任〉の概念にはちゃんと経験的実質が伴っている(その実質を細部まで述べ上げることは複雑さのために不可能だが)。すなわちラディカルな経験論のおかげで〈自由〉と〈責任〉の概念は必ず経験的な何かを実質とするに至っており、その結果、両概念のそれぞれの使用が空回ることはない。このように〈自由〉と〈責任〉の概念の使用可能性は、ヒュームにおいて、経験を基礎として保証されている。そのため責任実践は「形而上学的な自由」と言われるような「馬鹿げた」何かを必要とはしない。 

以上の理路にたいして先述の懐疑主義者は「いや、概念の事実的な使用可能性を指摘するだけでは、責任実践の正当化として不十分だ」と踏ん張るかもしれない。この場合、ヒュームはこのように〈踏ん張ること〉の不自然さを指摘するだろう。この哲学者によると、責任実践の正当性を疑うといった極端な立場は、日常的な生から離れることによって生じる「哲学的な憂鬱と譫妄」に過ぎない(人性Ⅰ:304頁)。じっさい「友人と食事をし、バックギャモンをして遊び、会話をして、愉快にな」ってしまえば、責任実践の正当性を疑うことなどが「冷たく無理のある滑稽なもの」だと気づかれる(人性Ⅰ:304頁)。そして、心の習慣が形成する安定した日常的な生の土台に立てば、破壊的な懐疑は却ってそれこそが馬鹿ばかしいものとして避けられる。 

ストローソンの立場[4]ではどうか。この哲学者の考えにおいて〈自由〉や〈責任〉は「人間的な生の一般的枠組」に属している(FR:55頁)。すなわち――この枠組みの内部で営まれる生の諸相のいくつかを記述すれば――他人から苦痛を受けたとき、その他人の行為に悪意が見えるときには、ひとは怒る。あるいは人間は互いに道徳的要求や道徳的期待を投げかけ合いながら生活しており、こうした要求や期待を裏切る行為(例えば一方的にひとを害する行為など)と出会った場合、ひとは義憤に駆られ「あなたはすべきでないことをした」などと責める。そして場合によっては当該人物を罰したりする。こうした一連の人間的な感情・態度・行為の交換が私たちの生を形づくっており、責任実践はこうした「自然な」交渉のうちにその基礎をもつ。それゆえ責任実践は「追い詰められたネズミが反撃するような曖昧な形而上学」(FR:78頁)を前提していない。かくして先述の懐疑主義者の主張の空振りが明らかになる。 

[4] ストローソンの立場は、拙著『人が人を罰するということ』(ちくま新書2023年)において詳しく紹介した。それゆえ本稿では手短に済ませる。 

以上のように《ヒュームの見方とストローソンのそれは似ている》というのは十分に主張可能な命題だその一方で、もし《では両者は本質的に同じ方向に進んでいるのか》や《ふたりのあいだに強調すべき差異はあるのか》などと問われるならば、話は複雑になる。例えばポール・ラッセルはかかる問いをめぐって両哲学者のあいだの本質的類似性を強調する道を選ぶ。 

ラッセルはまず《ヒュームの両立論はホッブズやシュリックのそれと同じグループに入れられるべきでない》と指摘する。この指摘の根拠は、究極的には、《ヒュームの自由論および責任論は、ホッブズやシュリックのそれと異なり、いわゆる道徳感情moral sentiment)へ核心的な役割を与えている》というラッセル自身の理解にある(Russell 1995: 58)。そしてこの哲学者は、《ストローソンもその自由論および責任論において道徳感情を決定的に重視する》と見なし、問題の二者を〈本質的に同じ方向に進む者〉と捉える。例えば曰く 

自由と責任の問題への取り組みにおいてヒュームの戦略とストローソンのそれの全体的類似性は決して無視できない。ふたりが一致する根本的な考え方は次だ。それはすなわち、道徳的責任の本性および条件を理解するさいには、道徳感情がこの領域で果たしている決定的な役割を考慮せねばならない、という考え方である。(Russell 1995: 81 

ここでは――繰り返しになるが――ヒュームとストローソンがともに〈責任実践における道徳感情の核心的役割を指摘する者〉と見なされている。これはこれで、少なくとも文脈によっては、可能な見方だろう。だが本稿はこれとは別の道をとりたい。 

じつに私は、いまから示さんとするように、《ヒュームとストローソンにかんしては最終的にその違いを強調することで各々の立場のポイントがさらに明確になる》と考えている。そしてこうした考えから《ラッセルの道行きはヒュームとストローソンのあいだの重要な差異を覆い隠している》とも感じるただし《ラッセルがなぜふたりの類似性を強調するのか》は文脈的に理解可能である。じつに彼は、ヒュームの責任論の現代的意義を説明するために、《私たちの時代にもヒュームの戦略を採用する重要な哲学者がいるぞ》とストローソンの名を挙げる(Russell 1995: 71)。残念ながら(?)私はこの文脈を共有しない。次節(本稿の最終節)ではヒュームとストローソンの違いを指摘したい。 

 

7.ヒュームとストローソンの差異 

 

問題のふたりはともに自然主義者である。ここでの「自然主義」は自由や責任の理解にさいして超自然的なアイテムを持ち出さない立場を意味する。ヒュームは〈自由〉と〈責任〉が印象‐観念の経験的なシステムにおいて生み出されると考える。ストローソンは〈自由〉と〈責任〉が人間の生の一般的な枠組みの一部だと考える。どちらも例えばリバタリアン形而上学的自由などに訴えておらず、いま述べた意味で「自然主義者」だと言える。 

このように――すでに繰り返し指摘したとおり――ヒュームとストローソンのあいだには無視できない共通点がある。だが同時に、看過すべきでない差異もある。ヒュームは日常と哲学のあいだのギャップを認めるが、ストローソンにおいてこの種の亀裂は無い。以下踏み込んで説明する。 

ヒュームの立場において〈自由〉や〈責任〉は、煎じ詰めて言えば、基礎的な印象や観念から心のいわば加工作用によって作り出されるような何かである。ここで〈自由〉や〈責任〉が構成される仕方を観察し、それによってこれらのアイテムの本性を認識している視点を「哲学」と呼ぼう。そして、こうした対象化や相対化を行なわず、ただ心の習慣によって出来上がった実践連関の内部を生きる視点を「日常」と呼ぼう。この言葉づかいを採用すればヒュームの立場のうちに劇的な対照を見出すことができる。じつに、日常の視点にとって自由や責任はまさに自由や責任たるものだが、哲学の視点にとっては〈自由〉や〈責任〉が印象‐観念をベースとした加工的産物に過ぎないことが暴露される。押さえるべきは、まさに《ヒュームの哲学は印象と観念だけを素材とする》という出発点の事実が、《彼の立場において日常的な意味の自由や責任はもはや取り戻されない》という運命を定めている、という連関だ。ヒュームの立場における日常と哲学のギャップは彼の探究の始まりに内在している。 

ここからどうなるか。結果としてヒュームの立場はある種の懐疑主義の可能性を許容することになる。それは哲学的な観点に立って《日常の観点から成り立つとされていることはじっさいに成り立っていないのでは?》と責め立てる懐疑主義だ。ヒュームは――前節でほんの少しふれたように――この種の懐疑主義者を論駁しようとはしない。むしろ彼は、《そうした懐疑は日常からの不自然な離反に過ぎない》とし、「日常に戻りたまえ、そうすれば知的な憂いは雲散霧消する」と奨める。もちろんこう述べるヒュームは間違っていない。なぜならじっさい、日常的生のうちでは、哲学的懐疑は無益に空回りする空言であらざるをえないからだ。とはいえここで見逃してはならないのは次の点である。すなわち、ヒュームの立場にとって哲学の懐疑主義は可能なムーブとして残りつづける、と。《かかる懐疑主義の可能性がヒュームの立場の全体においてさらにどんな意味をもっているか》はもはや専門家に任せるべき事柄なので、ここでは措く。本稿において重要なのは〈懐疑の余地を認めるヒューム〉と〈懐疑の足がかりを絶つストローソン〉の対比を打ち立てることである。 

ヒュームのやっていることの要点を理解しようとするさいに重要なのは、彼の哲学が〈対象化すること〉・〈観察すること〉・〈再定義すること〉といった、いわば日常を相対化するような活動から成る、という事実だ。こうした相対化の可能性が懐疑主義の土台となる。これにたいしてストローソンは日常を、すなわち(彼の言葉では)人間的な生を相対化しない。この哲学者は――前節で指摘したように――〈自由〉や〈責任〉を人間的な生の一般的な枠組みの一部と特徴づけるのだが、このとき彼は《哲学に取り組んでいる自分自身もこの枠組みの内側にいる》と考える。ストローソンにおいて哲学者は決して〈観察者の高みに立たない。哲学者も人間的生の空間の内部にいる。こうした点からヒュームとストローソンのあいだの有意な違いが生じる。 

ストローソンが〈自由〉や〈責任〉の基礎を一定の「枠」と見なすことの眼目は〈私たちのあらゆる営みがその内部で動かざるをえないえないフレームワーク〉の存在を指摘することだ。この哲学者の考えでは、この枠組みは私たちの手で相対化することができない。なぜなら、〈相対化すること〉も責任の伴う自由な行為である以上、こうした営みも問題の枠のうちに「回収」されざるをえないからである責任実践の基礎であるこのフレームワークは、《それはいかにして正当化されるか》が問題にならない仕方で[5]、言ってみれば〈私たちの生の可能性の条件〉として日常生活を「枠づけ」る。私たちは人間として生きる限りこの枠組みの下を離れられない。そして、哲学することも人間として生きることの一部である以上、哲学者の言動および思考もこの枠組みの内部の事柄である。 

[5]《人間的な生の一般的な枠組みについてはそもそも正当化が問題にならない》という事態に重点を置いてストローソンの「自由と怒り」を解釈する同論文の注釈書としてHieronymi 2020が挙げられる。 

以上よりストローソンが、少なくともヒュームのしなかった仕方で、懐疑主義の可能性を退けていることが分かる。じっさいストローソンの考えに従うと「こんな枠組みはじっさいには無いのではないか?」と言い立てる懐疑主義者の言説に正当な根拠が得られることはない。なぜなら問題の枠組みを相対化する地点に人間が立つことはできない(とされている)からだ。いやむしろ、さらに言えば次だ。すなわち、そうした懐疑主義者の言説も〈責任の伴う自由な行為として実践されている以上、彼あるいは彼女は自己矛盾に陥っているとさえ言える、とそれはすなわち自分の行為がそれとしてなされうるための前提を、その行為自体によって否定せんとするという「行為遂行的な」矛盾である)。かくしてヒュームの立場において「可能だ」と許容された懐疑主義は、ストローソンの立場において「間違い」と退けられる 

本稿は――冒頭で宣言したように――《ヒュームとストローソンのどちらが正しいのか》を問題にしない。また《どちらが魅力的なのか》すらも論じない。指摘したいのはひとえに両者の差異である。たしかにふたりの哲学者は自然主義的な共通性を具えるのだが、懐疑主義への応答にかんして異なる。すなわち懐疑主義にたいするストローソンの応えは、ヒュームのそれよりも、カントのそれに似ている。敢えて言えば、「自由と怒り」の作者は自然主義的な立場のもとで「超越論的な」反懐疑主義を展開しようと試みている、と特徴づけられるかもしれない。《自由と責任にかんしてカントとストローソンはどのあたりが同じで、どのあたりが違うのか》は別の機会に考察することにしたい。 

  

参考文献 

ヒュームの一次文献 

『人間本性論 1巻』、木曾好能訳、法政大学出版局1995年(初版)、2019年(普及版)。本稿では普及版を用い、「人性Ⅰ」と略記する。 

『人間本性論 2巻』、石川徹・中釜浩一・伊勢俊彦訳、法政大学出版局2011年(初版)、2019年(普及版)。本稿では普及版を用い、「人性Ⅱ」と略記する。 

『人間知性研究 付人間本性論摘要』、斎藤繁雄・一ノ瀬正樹訳、法政大学出版局2004年(初版)、2020年(普及版)。本稿では普及版を用い、「人知」と略記する。 

 

それ以外 

Hieronymi, Pamela, 2020. Freedom, Resentment, and the Metaphysics of Morals, Princeton, Oxford: Princeton University Press 

Russell, Paul, 1995. Freedom and Moral Sentiment: Humes Way of Naturalizing Responsibility, New York, London: Oxford University Press 

Strawson, Peter, 1962. “Freedom and Resentment,” Proceedings of the British Academy, 48: 1-25, reprinted in G. Watson (ed.), 2003, Free Will, 2nd ed., Oxford, New York: Oxford University Press.: 72-93. 邦訳として法野谷俊哉訳「自由と怒り」(門脇俊介野矢茂樹編・監修『自由と行為の哲学』、春秋社、二〇一〇年所収)がある。本稿の引用は邦訳から行ない、「FR」と略記する。 

《ひとは自分の行為に責任を負いうる》というテーゼをデネットはいかにサポートするか。

以下、《人間の自由や責任の存在をデネットはいかにサポートするか》を説明する。そのさい参照するのは『自由は進化する』(山形浩生訳、NTT出版、2005年)や『自由の余地』(戸田山和久訳、名古屋大学出版会、2020年)である。

じつにデネットにおいて〈責任をとる〉あるいは〈責任を負う〉という実践は或る種の「進化的な」プロセスを通じて生じる。そのプロセスは――いろいろ言葉を補って再構成[*]すれば――次のようなものだ。

[*] 後述の「罰してくれてありがとう」を理解可能にするための抜本的再構成である。

いまだ「お前が悪い」と互いに責め合ったりすることのない、一定の生物個体群が存在するとする。そして――これも目下の文脈では前提的なことだが――こうした個体群において〈協力する〉という行動が進化的に発生したとする。このさいこの集団においては〈協力しない者には負のリアクションを行なう〉という行動も発生する(なぜなら協力行動は協力しない者やフリーライダーへのネガティブな反応と共に生じるからだ)。

ここからどうなるか? 個体間の「軍拡競争」が生じる――例えば〈表向きは協力しているふりをする〉という個体も現れる。こうした軍拡競争に応じて《自分は協力していますよ》と他の個体へ伝える信号も複雑化していく。そしていずれ個体たちは、《誰が協力的か》などを判定するさい、顕示的に現れた行動だけでなく、言葉というシンボル作用も根拠とするようになる。すなわち個体たちは互いに「なぜそれをしたのか?」の理由を尋ね、互いの行動を〈裏切り〉や〈善意の失敗〉などとラベリングする。この〈理由をめぐるコミュニケーション〉の発生と洗練は、こうしたラベリングを引き受けられる主体と、それができない主体との区別を生む。

ここから〈責任をとる〉あるいは〈責任を負う〉という行為がいわば「合理的に」発生する。一般に、「お前のやっていることは裏切りだ」などのラベリングを引き受けることは、一定の条件下で、それを引き受ける個体にとって利益となりうる。それはどんな条件下か? じつに《こうした引き受けが、今後同じような「裏切り」行動を選んで不利益を被らないための自己修正となる》という条件の下では、「裏切りだ」などのラベリングを引き受けることは当の個体にとって利益たりうる。加えて、《そうした引き受けが、今後協力することのシグナルになる》という条件下でも、そうである。けっきょく、こうした条件が整っていくに応じて、各々の個体は適宜〈責任を取る〉や〈責任を負う〉という行動を行なうようになる。

以上が責任実践の発生のプロセスの説明だ。見逃してはならないのは、こうしたプロセスを記述することはいわば勝義の「説明」になっている、という点だ。じつに――この点を説明すると――与件として、「自己利益」の原理に従って行動する個体たちの集まりがあるとしよう。さて〈責任をとること〉は、一見したところ、「自己利益」の原理に反する。それゆえなぜそうした行動がとられうるかは謎である。かくして責任の発生の説明は必ずや《自己利益を追求する個体がなぜ敢えて一見自己に不利益な行動をおこなうのか》を明らかにせねばならない。デネットの説明はこれをきちんと行なっている。なぜならデネットの説明においては、〈責任をとること〉は〈自己の行動を修正すること〉を含んでおり、それゆえ責任をとる個体にたいして利益をもたらす行動だからである。かくしてデネットの説明を通じて《自己利益の原理に従って行動するタイプの個体が〈責任を負う〉という行動の傾向性を「合理的に」獲得しうること》が理解可能になる。

以上のように――ここが核心的に重要だが――〈責任をとること〉は〈自己の行動を修正すること〉を含む(かかる自己修正は、ある意味で、高次の自由だ)。それゆえそれは本人にとっても望ましい行動である。かくして十分に合理的なプレーヤーは、適切な条件下では、「喜んで」責任をとる。デネットはこの連関を「罰してくれてありがとう、目がさめたよ!」と表現する(『自由は進化する』412頁)。

かくして――デネットの説明では――〈責任を負うこと〉は、言ってみれば、「欲するに値する」高次の自由であることが判明した。それゆえ、ひとが責任を負わされるさい、そのひとはこれを引き受けることを「内的に」正当化できる(なぜなら当人にとっても利益がある事柄なので)。より踏み込んで言えば、一方で〈責任を負うこと〉の価値を理解し、責任を引き受けることを内的に正当化できる能力者は、きちんと責任を引き受けるだろう。逆に、そうしたことを理解できないひとについては、能力の無さに照らしてふさわしい処遇として〈責任免除〉が行なわれる。このように、能力の高低(あるいは高次の自由の有無)に応じて、「責任を負うべきひと/責任を免除されるべきひと」が分けられる。かくして《誰も自分の行為に責任を負うことができない》という「懐疑主義的」テーゼは退けられる。

かつて「責任にかんしてはデネットの立場がベストだ」と吹聴するひとに私が「では『自由は進化する』の終盤の「罰してくれてありがとう」ってどういう意味?」と尋ねても答えは「分からない」であった。私は、いまのところ、以上で説明されたような意味だと思う。だが、デネットの本は――正直言って――論理的に構成されておらずグチャグチャであるので、《以上の説明が本当に正しいか》は確信できない。ベターな読み方を知っているひとがおられれば、ぜひ教えていただきたい。

 

 

 

 

 

埴谷雄高の小説『死霊』のストーリー全体の紹介

はてなブログ」を始めることにした。かつて note に置いてあった記事を置いたり、新たに書いたものを置いたりしたい。

 

一回目は、わけあって、表題のとおり「埴谷雄高の小説『死霊』のストーリー全体の紹介」である。これは 2023年11月22日にnoteで公開したものだ。若干加筆したうえで以下に置いておきたい。

 

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本ノートは埴谷雄高の『死霊』[*]のストーリーを紹介する。なぜこれを行なうのかと言えば《この作品が全体としてどんなものか》をおおまかに掴むためのストーリー紹介は――私の知る限り――いまだ行なわれていないからである。いや、ひょっとしたらどこかでやられているかもしれないが、少なくともネットで簡単に手に入る内容紹介はないと思う。それゆえ、社会貢献の意味もこめて、今回は大雑把に『死霊』の物語を紹介したい。
[*] 現在、『死霊Ⅰ』・『死霊Ⅱ』・『死霊Ⅲ』(講談社文芸文庫、二〇〇三年)として文庫版で入手可能である。本ノートで行なわれる頁参照はすべてここからであり「第何巻・第何頁」を記す。

 

本題に入る前に注意点がひとつ。

 

このノートで行なわれるのは決して〈プロットの紹介〉ではない。思うに、『死霊』にかんして、プロットを正確になぞりながら内容紹介すれば、作品そのものと同じくらい「読解困難な」テキストが再生産されることになる。それゆえ本ノートは、じっさいのプロットから離れ、話の順序を組み換え、同作の内容をアクセスしやすいストーリーにまとめる。かくして本ノートは次のようなひとのために書かれたとも言える。それは〈かつて『死霊』の読解に取り組んだが、物語がどこへ向かっているのか分からなくなってしまい挫折した〉という経験のあるひとである。こうしたひとはけっこういるのではないか、と思う。

 

では『死霊』の内容の紹介へ進みたい[*]。
[*] ちなみに同作はミステリーの要素も具える――とりわけ「カラマーゾフ的な」種明かしの側面については伏せておきたい。
 

 
文庫本で三冊になる大作『死霊』は、限られた数の登場人物が織り成す、たった数日間の出来事を描く。

 

舞台となる場所や時代は意図的にぼやかされているが、埴谷が若かりし頃の日本のような環境をイメージすればよい。話の流れは、粗っぽく言って、二本の筋道の交わりから成る。ひとつは〈社会の革命によって世界のあり方を変える〉という目標に導かれて一部のキャラクターたちが非合法活動に取り組むという流れ、そしてもうひとつは〈存在の革命を通じて新たな様式の思考を実現する〉という哲学的な欲求に導かれた人物を中心として、キャラクターたちが思弁的な対話を延々と行なうという流れだ。これらふたつの革命、すなわち〈社会と世界の革命〉と〈存在と思考の革命〉が、作中で交じり合う。ふたつの流れの関わりを味わう、というのは同作の楽しみ方のひとつだろう。

 

物語は三輪与志[みわ・よし]という若者が、ある用事のために、某精神病院へ向かうシーンから始まる。じつにこの男性こそが存在の革命という哲学的欲求に導かれた人物だ。彼は自らの思考が存在の論理に縛られていることを不快に感じる。例えば「AはAである」や「私は私である」は私たちの思考が従わざるをえない存在の論理だが、彼にとってこの束縛は耐え難い。三輪与志は存在の論理を超える自由を求める。そしてそれによって「嘗てなかったもの、また決してあり得ぬもの」を実現せんとする(Ⅰ・七二)。そして彼はここで実現するものを「虚体」という用語で呼ぶのだが(Ⅰ・七二)、その理由はそこで実現されるものがもはや存在の次元を超えているからである。

 

与志が精神病院へ向かう用事は兄の高志[たかし]に依頼されたものだ。このあたりの事情は少し複雑なので、立ち止まって説明する。

 

与志が高校生だった頃、彼には矢場徹吾[やば・てつご]という友人がいた。だが、あるとき突然現れた少女と一緒に、徹吾は失踪してしまう――そしてそれ以来、与志とは一度も会うことがなかった。なぜ徹吾は失踪したか。その理由は社会と世界の革命を目指す非合法活動がかかわる。

 

与志の兄・高志は革命を目指す組織の幹部であった(与志は兄が具体的に何をしているか知らない)。そしてこの高志とつねにコンビを組む活動家に首猛夫[くび・たけお]がいた。徹吾を誘い出した少女はこの首猛夫の妹である。徹吾には事情があって、少女の誘いのまま失踪しする(けっきょく高校からは放校される)。そして彼は、この事件以後、組織のために働くことになる。すなわち徹吾は、ある印刷工場の地下室で、闇にまぎれながら組織の任務にあたるのである。

 

それからどうなったか。数年後、高志は逮捕され、首猛夫と徹吾も捕まる。高志は刑務所で病気になり、そのため仮釈放となって、いまは家で寝た切り状態である。徹吾も刑務所で何かしらの異常をきたし、ひとことも言葉を発さない「黙狂」と呼ばれる状態に陥っている(Ⅰ・八六)――その結果、徹吾はその身体を某精神病院に引き取られることになった。ちなみに首猛夫も(理由は謎だが)徹吾が刑務所を出るのと同じ日に仮釈放となった。

 

与志が現在向かっているのは、徹吾を引き受ける精神病院である(兄・高志は病気で動けないので、与志に徹吾を見に行くことを頼んだのだ)。沈黙する徹吾を診るのは若き精神科医・岸[きし]博士である。

 

病院に着いた与志は岸博士と対話する。岸博士は、与志の哲学的欲求を知りつつ、《人間の思考には人間的な形式があり、そこから抜け出すことはできない》と指摘する――曰く、人間は「一定の型へはまる」(Ⅰ・六七)。これにたいして与志は、自分は「まるきり違った思惟形式」を求める、と対立の意志を示す(Ⅰ・六八)。

 

さてどうなるか。こうした対話の最中、唐突に、与志と岸博士が語り合う部屋へ、首猛夫が姿を現す。この男はふたりのいずれとも知り合いではないが、徹吾を連れ去る企みのもと偵察がてらやって来たのである。首猛夫はいまだに社会と世界の革命を諦めておらず、作品全体を通して休みなく動き回る(この人物の活動が物語の進行を加速させる)。

 

このあと、与志・岸博士・首猛夫が語り合うことになる――いや、正確に言えば、首猛夫がいろいろしゃべり(彼は〈饒舌〉という性質を与えられている)、それに岸博士が応え、与氏は一歩退いている、という感じだ。ここで次に、同じ部屋へ若い女性・津田安寿子[つだ・やすこ]がやって来た。この女性は与志の婚約者であり、同日行なわれる法要のイベントのために与志を迎えにきたのである(与志は放っておくと家族の用事に間に合うか不安である)。与志と安寿子の関係についても手短に説明しておきたい。それは以下の通りだ。

 

数年前、津田安寿子のほうが三輪与志を一方的に好きなった。その結果――津田家と三輪家のあいだには長年の付き合いがあったので――両家はふたりを許婚とした。だが、存在の革命を目指す与志の心は、安寿子にとって理解できない。安寿子は与志が何を考えているのかを知りたいと思う。そして彼女はそれを知るために行動する。『死霊』は、〈与志という謎を安寿子が解明せんとして奮闘する〉という意味で、安寿子の冒険の物語でもある。ときに既刊部分に終盤では、この女性が奮闘する、と言える展開が生じる。

 

三人の話を聞く安寿子は《岸博士は与志の謎を明らかにする手掛りを与えてくれるかもしれない》と感じる。そこで彼女はこの精神科医を、明後日行なわれる自分の誕生日会に招待する。じつに――先取りして言えば――何だかんだあってこの誕生日会へは首猛夫も参加することになり、また『死霊』の公刊された物語はこの誕生日会の場面で幕を閉じることになる。さて埴谷が後の物語を構想していた事実に鑑みると同作は「未完の作品」だと言える。だが、しかしながら、この捉え方は必然ではない。じっさい、私たちの前には三日目の誕生日会の対話の途中で終わる『死霊』があるのであり、私たちはこれを完結した作品としても読むことができる(ちなみにこのロジックは、私は二葉亭四迷の『浮雲』のある解説から学んだ)。
 

 
ここからどうなるか。首猛夫の策謀が物語を牽引する。だが同時に与志と安寿子の関係性も物語の展開の軸となる。以下、残りのストーリーをごく大まかに見ていこう。

 

病院を後にした首猛夫は、自分が逮捕されたころの警視総監(これは安寿子の父である)へ会いに行き、そこで自身の計画をほのめかす。なぜ敢えてそんなほのめかしを行なうかと言えば、それは――ひとつには――因縁の相手へ「宣戦布告」するためである(Ⅰ・一八二)。とはいえその策謀は何か。それは、ひとびとへ「生か死かの二者撰一」を迫り、それでもって「人間精神」を「変革」することだ(Ⅰ・一九八)。言い換えれば、自らが〈死への存在〉だと自覚せしめることで「ただ生きている――それだけ」という状態を脱せしめる、という或る意味で前期ハイデガー的な革命のことである(Ⅰ・一九三)。

 

これが首猛夫の策謀であり、そのためには何かしらの力が要る。そこで首猛夫は組織が所有していたダイナマイトを手に入れることを目指す。そのため、まずは組織がかつて秘密の会合で使っていた屋根裏部屋に現在住んでいる黒川健吉[くろかわ・けんきち]のところへ行ってさぐりを入れ、その後で与志の兄・三輪高志のところへ向かうことを計画する。ちなみに、元警視総監のところを発つさい、首猛夫は巧みな話術によってこの男性の妻(安寿子の母)に気に入られる。

 

この後の流れをもう一度繰り返そう。話はさしあたり首猛夫に焦点を合わせて展開する。以下、彼はまずかつての知り合い・黒川健吉のところへ行き、そのあとでかつての相棒・三輪高志のところへ向かう。

 

まず黒川の住まい。ふたりは屋根裏部屋で対話する。そのさい期せずして話題が与志のことへ移る。健吉――このひとは徹吾と同じく与志の高校時代の友人であり、与志のよき理解者であるのだ――は《存在の論理を超えることはある意味で可能だ》とするが、その根拠は彼の歴史観にある。じつに健吉によれば、人類の歴史は所与の形式を破壊してきた「逸脱の歴史」であり、現在の思惟形式についてもそれが〈踏み越えられること〉はありうる。そして歴史は最終的に、この「逸脱の歴史」という形式すらも「迷妄の歴史」として否定し(Ⅰ・三四二‐三二三)、いわば「存在が存在たり得なくなった無限の涯」(Ⅰ・三四五)に至るだろう。要するに、歴史が〈型の破壊〉をその本質としている以上、存在の論理という形式もまた歴史の運動において乗り越えられうる、ということだ。

 

ダイナマイトの手がかりを得られなかった首猛夫は三輪高志のところへ向かうが、入れ替わりに与志が屋根裏部屋へ訪ねてきた。そして、与志と健吉は連れ立って外出し、かつて徹吾が働いていたという地下室のある印刷工場の場所を確かめる。両者には、徹吾をめぐって知りたいこと、知らねばならないことが多々ある。

 

ふたりは「明日、徹吾を見に行こう」と約束して別れる。そのあと与志は、同じ足で、兄・高志とかつて深い関係にあった女性・尾木節子[おぎ・せつこ]の妹である恒子[つねこ]の住まいへ向かう。これも兄に頼まれた用事だ。ここで高志と尾木節子の関係を説明せねばならないが、この話題は重要な仕方で〈与志と安寿子の関係〉にもかかわる。

 

数年前――これは『死霊』の公刊された物語の最後のほうで明らかになるが――組織の隠れ家で高志と節子は生活を共にしていた(組織は女性へ男性の世話を課す!)。節子は高志を愛し、彼の子を産むことを欲した。だが高志は、与志と似たような仕方で、存在の論理を憎んでいた。とりわけ高志は、「子供をつくってしまう」という人間の惰性をいわば〈存在を無反省的に再生産すること〉として嫌い(Ⅱ・一四三)、子をもたぬ者だけが「有の嘗て見知らぬ新しい未知の虚在を創造」すると述べる(Ⅲ・三〇三‐三〇四)。社会と世界の革命を目指す高志は同時に存在と思考の革命を目指す者であった、という点は注目されたい。

 

かくして高志は〈彼の子を産みたい〉という節子の願いを拒絶することになる。さて同じころ、組織の幹部連中のうちで、活動のあり方に疑問をもつ者が現れた。それは「一角犀」と呼ばれる男であり、彼はスパイの粛清(すなわち殺すこと)を組織から無理やり引き受けさせられた過去をもつ。高志は、ある思惑から、一角犀を自らの隠れ家に住まわせ、節子にこの男の世話をさせた。そして、高志の思惑どおり、節子は一角犀と心中した。高志は、言ってみれば、節子を利用して組織にとっての危険分子たる一角犀を消したわけである。

 

以上が高志と節子の関係だが、これは与志と安寿子の関係にもかかわる。なぜなら、弟・与志も兄・高志と同じく存在の論理を嫌う以上、弟はひょっとすると兄と同じ道を進むかもしれないからだ。はたして与志は、宿命のような何かに導かれ、高志と同じく自分を思うひとを死なせてしまうのか。それとも与志と安寿子は、高志と節子とは違った道を進みうるのか。《血の宿命は抗いうるのか》という問いも『死霊』の主題のひとつである。

 

さて心中事件から数年経ち、現在寝たきりの高志は、節子のことを考える。そして――思い直すことがあったのだろうか――高志は与志に「これを節子の妹である恒子へ渡せ」とロケットペンダントを託す。これが先述の用事の内容だ。そのロケットの中には、節子の写真が入っている。

 

恒子(節子の妹)の住まいで与志は彼女と語り合う。けっきょくいろいろあって、もって行ったロケットは受け取られず、さらに与志はもうひとつのロケット(これは節子が所有していたもので高志の写真が入っている)も持ち帰ることになった。与志はふたつのロケットを携えて高志のところへ向かう。
 

 
――さてどうなるか。

 

与志が兄のところへ戻ったとき、高志の傍らに首猛夫がいた。ダイナマイトの在り処を聞きに来たのだ。首猛夫は《ダイナマイトは印刷工場の地下(徹吾が働いていた場所)にある》という情報を得て、立ち去る。その後、高志が滔々と語る話を、与志は聞くことになる。話題は――ひとつの解釈では――寝たきりになった高志が見る夢のことである。その夢には〈存在の論理の超えた向こう側にいる悪魔〉が出現し、それが自らの境地について語る。この箇所(すなわち『死霊』第五章の主要部)は、存在の論理を超えた側からの議論を提示せんとする、という物語全体において重要な場面だ。ちなみに「自同律の不快」という、埴谷の有名なフレーズは、『死霊』においてはこの高志と与志が語り合う場面で登場する(Ⅱ・二三〇)。

 

次の日(物語の二日目)の朝、岸博士が与志の家へやって来た。そのわけは、病院で《徹吾の姿が消えた》という事件が発生し、それを徹吾の世話人である与志に報告するためである。与志は直感的に《あの印刷工場の地下に何かあるかも》と考える。与志は岸博士を連れて印刷工場へ向かう。

 

そのころ、黒川健吉は近所に住む知的障害の女の子をボートにのせ(遊んであげているのだ)、そのついでに川を移動して問題の印刷工場へ向かっていた。昨夜与志の聞いた場所を独自に調べてみようと思ったわけだ――ただし前からすでにそこへ行く用事もあったようだが(Ⅰ・三二〇、三九五)。その途中でたまたま首猛夫と会い、この男もボートに乗り込む(首猛夫はあわよくば黒川健吉をシンパにしたいと考えている)。

 

その後、健吉が漕ぐボートは津田安寿子とその母ものせて(川岸の道を歩くふたりのうちの母のほうに、首猛夫が声をかけたのである)、大所帯で印刷工場へ向かうことになる。互いに語り合ううちに安寿子は《健吉は与志を深い次元で理解している》と察し、健吉へ与志のことを尋ねる。そのさい健吉は、〈他を自へ取り入れることによって増殖する〉という存在のあり方を与志は拒んでおり、そのため与志は一種の停止状態にある(だから安寿子を愛し返したりもしない)、と指摘する。そして健吉は、与志は(他を死なせずに)自己自身だけで増殖するという、いまだかつてない形式の「創出」を目指している、と述べる(Ⅱ・三五四)。注目すべきは、与志の目指すところには一定の倫理がある、という点だ。

 

大所帯の一行は――途中でボートが転覆するという事故に見舞われつつも(Ⅱ・三三六)――印刷工場へ到着する。そこでは現在李奉洋[リー・ポンヤン]という朝鮮のひとが一人で働いているが、このひとは健吉のかねてからの知り合いだ。一行が工場に着いてすぐ、与志と岸博士も同じ工場に到着した。そしてただちに首猛夫は「徹吾を連れ去ったのはお前だろう」という嫌疑をかけられるが、うまくごまかし(すなわち或る衝撃的事実[*]を暴露することで話を逸らし)その場を立ち去る。もちろん徹吾を現在手にしているのは首猛夫である。

[*] どんな事実かは自分で確認されたい。

 

じつに徹吾は別の地下室で、首猛夫の妹に世話されつつ、黙ったまま座って時を過ごしている。また印刷工場の地下にあったダイナマイトも昨晩のうちに別の場所に移されたようだ。このあたりは首猛夫の計画通り。そして一行と別れた首猛夫は、徹吾のいる地下室へ戻る。そしてそこで数日ぶりに休む。ひさしぶりに睡眠をとるのである。

 

首猛夫が眠った後――彼の夢の中だろうか――黙狂の徹吾が語り出す。長らく沈黙してきたことの反動であるかのようにその語りはいつまでも続いていくが(文庫版で一五〇頁以上続く)、その語りにおいては、例えば自らが存続するには絶えず他の存在を「食わねば」ならない私たちの原罪的なあり方、あるいは時空という存在の根本形式を乗り越えた「自在宇宙」が語られたりする(Ⅲ・二一四)。ところでこのノートを読んでいるひとはこの時点で次の疑問を抱くかもしれない。なぜ三輪の名字をもたない徹吾が〈存在の論理〉を超えた事柄を語ろうとするのか。また同じく三輪の名字をもたない首猛夫が――仮に以上がこのひとの夢だとして――なぜこんな内容の夢を見るのか。このミステリーはじっさいに本を読んで解明されたい。

 

ここから物語はクライマックス(すなわち公刊された物語のうちで最も「肯定的な」何かが提示される箇所と私が考える部分)へ進む。

 

首猛夫が一行から離脱した後、与志や健吉はかつて徹吾が働いていた地下室に入ってみる。その後、与志は岸博士と連れだってさっさと別のどこかへ行ってしまう。ある意味で「取り残された」と言える安寿子は、現在の印刷工場の主である李奉洋から《活字がどう組まれるか》の説明を受け、その仕事に興味をもち、リーフレットをつくる作業を手伝うことにする。ここはたいへん美しい場面であり、『死霊』からポジティブな内容を引き出しうる重要な箇所だと思う。以下、手短に説明。

 

じつに――李奉洋が安寿子へ語るように――リーフレットは〈私たちが読みうる文字をさかさにした形で掘られた活字〉や〈ばらばらの頁が並んでできた組版〉からできあがっているが、同じようなことが存在一般についても成り立っているのではないか。一見私たちにとって理解不可能と思われることも、それはたんに私たちにとって「乱丁的」に思われるだけであって、あらゆるものはそれ固有の秩序と論理を有しているのではないか。この点の気づきは〈与志という謎を理解せんとする安寿子にとって重要な一歩〉であるにとどまらず、存在の論理を超えた思考を探求するという『死霊』全体の関心にとっても重要な一歩である。

 

このように安寿子のリーフレットづくりの場面にはたいへん重要なことが含意されていると思われるので、ぜひみなさんもこの場面まで辿り着かれたい。この箇所の意味については、私もどこかできちんと論じたいと思う[*]。

[*] とりあえずは『現代思想』の2024年4月号の私の連載で少し踏み込んで論じることになるだろう。

 

さてその後、いくつかの出来事が生じたのだが(例えば、健吉の鋭い推理力のおかげで安寿子は尾木恒子と出会う機会を得て、彼女から与志を理解するための重要な話を聞いたりする)、物語は三日目の安寿子の誕生日会へ進み。そこでの対話の途中で幕を閉じる。
 

――だいたい以上が『死霊』のストーリー紹介である。ちなみに、同作をある程度読んだことのあるひとは気づかれたように、本ノートは幾人かの印象的なキャラクターを意図的にぼやかしたり、あるいはまったく省略したりしている。なぜかと言えば、それをしなければ内容紹介は耐え難く長くなってしまうからだ(すでに現在の分量でも十分長い!)。他方で《同作には本ノートできちんと紹介できなかった魅力的なキャラクターが他にもたくさんいる》という点は強調しておきたい。例えば与志と高志の父親であるところの広志[ひろし]、「処女の淫売婦」である少女・「ねんね」(Ⅰ・四一一)、その妹の「神様」――これは健吉がボートにのせてやっていた少女だ――、また作品全体へ明るい空気を与えている津田夫人(安寿子の母親)などなど。年末[*]は『死霊』を読んで、「悪意と深淵の間に彷徨いつつ宇宙のごとく私語する死霊達」の一員になるのもよいかもしれない。

[*] この記事ははじめに書いたように2023年の末にアップロードされた。